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「現代のアイドルとしてのAKB48」(2)

6                   会いに行けるアイドル」というコンセプトの下、秋葉原の劇場から生み出された 48 人のアイドルたち。その後デビューしてから5年の月日で、劇場からトップアイドルへと上りつめてきた。それまでの道のりで、彼女たちは様々なイベントを催し、人々の関心を集めてきた。秋葉原の劇場でのライブに行けば、アイドルたちと触れ合え、 CD を購入すれば、アイドルたちとの握手券が付き、グループ内で順位をつけあうなど、アイドルに対する欲や、人気あってのアイドルなどということを透明化し、アイドルの深層を提示してくれ、メディアで注目される話題性を常に持ち続けた結果が、今あるのではないかと思う。
さらに、 AKB48には荒木経よしや、蜷川実花、篠山紀信などといった名高い写真家たちが手掛けた写真があるなど、より高い付加価値がつき、さらに広範囲なジャンルにも手を伸ばし、多くの人びとの関心をさらっていく。このように、彼女たちを人気者に仕立てた様々な要員があるが、私は「繋がり」という視点からAKB48を読み取っていきたいと思う。デビュー当初の売り文句、「会いに行けるアイドル」がやはり人々から注目を浴びる第一歩になったはずである。劇場に足を運べば、大きいとは言えないステージを、比較的至近距離で見ることができ、最高のパフォーマンスを見せてくれる。そして、終演後にはさっきまでステージに、立っていた彼女たちと、ハイタッチができたり、一緒に写真を撮ることができる。また、そのステージが毎日開催されているため、毎日だって顔を合わせることもできる。(毎日ステージに立つチームは違うが。)このような経験をした人々が一回きりで、この劇場を後にすることができるのか。この劇場に足を運んだ人々は、AKB48たちを身近な存在に感じることができ、そのように感じた人々のことを、応援したくなるのは当然のことである。ファンたちはAKB48との繋がりをこういうところで、経験し応援し続けているのではないかと思う。CDを購入すると握手券がついてくるというのも、劇場に行くよりも敷居が低いため、より多くの人々が彼女たちと会う機会を得ることができる。そしてまた、次回発売されるCDを手にとってしまうことだろう。
AKB48ニューシングル「Everyday、カチューシャ 」のPVは、これまで発売したきたシングルのPVのオマージュで作られている。このようなPVを見ると、これまでのPVを再び見返したくなり、AKB48との時間がさらに増えることになり、どんどん深入りしてしまうのではないか。こうして、PVが過去への繋がりを提示してくれる。その集積がこれからの、AKB48の道も繋いでいくのだろうと思う。

7           「会いに行ける」アイドル=等身大~憧れの女の子のストーリー     
        2006年のデビューより5年、秋葉原に専用劇場を有し、今や国民的アイドルと言われる「会いに行ける」アイドル、AKB48。なぜ、「手の届かない憧れの的」であったアイドルは今、こんなにも身近になったのか。それは、個々人がブログやtwitterなどを通じ、誰しもにひらかれたアイドルの日常を垣間見ることを可能としたことだけではない。AKB48の特徴と言えば、その大人数のメンバー構成、またそれゆえによる選抜(PVへの出演やメディアへの露出をかけたオーディション)、総選挙(CDを購入したファンによる人気投票ランキング)の存在である。メンバーは今までのアイドルグループ以上に個人個人のPRのため、そのキャラクターの確立を迫られる。キャラクターの確立については昨年の総選挙で見事一位を獲得した大島優子も「自分のキャラを見つけないとってずーっと考えて悩んでました」(Quick japan 48号 p52 太田出版)と語っているほど、メンバー自身も重視しなければいけない点である。また、この個人のキャラクターの確立が重視されている点はAKB48のPVにも反映されている。
AKB48のPVはドラマを描く。「会いたかった」では放課後、「大声ダイヤモンド」では文化祭、「言い訳Maybe」は部活、「涙サプライズ!」は休み時間など、多くは女子高生の生活を思わせる舞台設定で、そこには主人公や友人たちがいて、困難を乗り越え、彼女たちが成長していくストーリーが描かれる。どの舞台もだれもが高校時代に1度は経験し、またある時はあこがれてきた出来事である。
2009年から2010年にかけて軽音部に入部した女子高生の日常を描いたアニメ「けいおん!」がヒットしたが、第2期「けいおん!!」OPでも部活、ライブ、廊下、教室、講堂、校庭、階段などが描かれる。ヒットの要因は楽曲や楽器のみではなく、だれしも必ず経験し、だれしも憧れたようなキラキラの瞬間がうつし出されているからではないだろうか。AKB48のPVにも「けいおん!!」と共通した"キラキラの瞬間"が描かれている。
それではAKB48の「大声ダイヤモンド」のPVをみてみよう。するとどうやら学級委員のような役割の渡辺麻友、文化祭でAKB48をやりたかった松井珠里奈、中心になって練習をする小嶋陽菜、周囲から近寄り難い存在としてみられていた篠田麻理子、受験勉強が大事で練習に集中できない前田敦子、ダンス部のリーダー宮澤佐江、ダンスの始動に励む板野友美、秋元才加、高橋みなみ。
ストーリー仕立てにすることで大人数が舞台にあがっていても、登場人物(役)のキャラクターをみせることができる。わずかなコマ数であっても、クローズアップによって、まるで1つのクラスをみているようにバラエティ豊かな彼女たちを描くことができているのが特徴的だ。
更にここに挙げたメンバーの名前は総選挙や選抜で常に上位にいる(=メディアへの露出の多い)メンバーである。よって従来のアイドルグループのPVに見られるメンバー各々のポジション(誰がどの位置につこうがPVで描くテーマに大きな差は生まれない)よりも、AKB48のPVの配役を得ることはハードルの高いものであることが伺える。また選抜というシステムによってメディアへの露出が変化する点は彼女たちの努力や成長の成果を示す場である。
Youtubeなどのメディアが主導権を握る現代において、なかなか秋葉原まで行けない多くの人が同じようにPVを目にし、高校生の日常を演じる彼女たちにある者たちは興味を示し、あるときは共感し、ある時は憧れるのである。
なかなか触れることのできなかった存在から、共感を得ることや、成長していく姿を大々的に示していくことで、ファンの"応援したい"気持ちを刺激し、すぐ近くで応援できる、誰でも会いに行くことができるアイドル、AKB48が作り上げられているのである。

8                  AKB48はアイドルでありながらも、70年代80年代のアイドルや現代のアイドルよりもファンサービスがものすごく優れていると思います。ファンサービスはファンにとっても、アイドル自身にとっても必要なことですがこのことに関してAKB48はいろいろなファンへの催しを行っているようです。
 例えば、300回公演を観にきてくれたファンとドライブができたり、抽選で一緒にお花見にいけたり、、、、AKB48はファンとの交流をとても大切にしているような気がします。しかし、インターネットが流通した今日であるからネットで簡単にそのような応募ができたりするのかなあと感じました。松田聖子の時代に、ファンと一緒にドライブなんて言ったらありえないことです。そのありえないことを行動するAKB48と秋元康はすごいなあと感じました。
 歌も歌えてかわいくて踊りもできる、そんな人材が昔のアイドルとして存在していましたが、現代化していくことによってグラビアアイドル、声優アイドル、浜崎あゆみといった容姿がきれいで作詞作曲も手掛ける歌手など、現在はアイドルが細分化されてしまってきています。そのことによって昔のアイドルにはなかった部分が目立ちます。私の母がよく言うのですが、「昔のアイドル歌手はなんとなく歌っているだけでかわいく評価されていただけで、歌が特別上手なわけでもなかった。モーニング娘。やAKB48のほうがまだ上手」ということをよく言っています。松田聖子の昔のPVを見ると、とりあえずかわいい女の子らしい洋服をきて、それに相応するようなしぐさを演出しています。AKB48のヘビーローテーションの最初の部分で大島が一人ダンスをするような部分がありますが、かわいいとは私は思いませんでした。でももし松田聖子がこのような踊りを当時していたらきっとアイドルとは少しかけ離れた人材として存在していたような気もします。AKB48はかわいいを取り入れながらかっこいい演出をし、その間にあるギャップをファンに注目させている気もするなあと思います。

9                はじめにAKB48はアニソンを中心に歌う水樹奈々といったアキバ系アイドルとして目されているがここではアキバ系とは違う一般芸能人として論じる。何故ならプロデューサー秋元康が率いるAKB48のこれまでの記録をみるとどう考えてもアニメソング界ではなくJ=POP界を指標にした活動を行ってきたからである。
 AKB48は多数の人数によって編成されるアイドルユニットである。この多数の人数(五人以上)によるアイドルユニットの前身にはモーニング娘。がいる。ここではこのモーニング娘。をAKB48の比較対象にしていく。もっとも比較するのはそれぞれのユニットの方向性をつくるプロデューサーの在り方であるが。
 モーニング娘。はいわゆる2000年型アイドルであり当時の子供たち(特に女子)の憧れに代わる存在であった。モーニング娘。自らも当時の流行に沿ってヤンキーファッションをするなど若者を率先するファッションリーダーの一面を覗かせている。彼女たちはアイドルがいなかった時代に現れた正しく“アイドル〟だった。
 しかしモーニング娘。を“アイドル”へと導いたプロデューサーつんく♂は
アイドルという言葉を嫌い、あくまでプロの歌手、芸能人をプロデュースしているという見解を示した。彼にとって“アイドル”とは自分で自負するものでは決してなく、あくまで周りから賞賛して受ける称号だという意識があったからである。
 対して秋元康はもっと前時代の大型ユニットおニャン子クラブから小泉今日子の「なんてたってアイドル」という曲を発表するなど「アイドルはアイドル」とアイドル論を狙った企画を進んで行ってきた。勿論AKB48もこのアイドル論を基底に活動している。
 興味深いエピソードに以前おニャン子クラブで成功し、かつトップクラスで人気だったメンバーの高井麻巳子と結婚していた秋元康が先輩としてなのか
モーニング娘。をつくったつんく♂に「メンバーの誰かと結婚しろ」とアドバイスしたというものがある。ちなみにつんく♂は自分がプロデュースしたユニットメンバーとは結婚していない。
 秋元康にとって女性歌手、“アイドル”は自分を含めた男性にとって魅力的な者をがなって始めて自分がプロデュースして映えるという考えがあったのだろう。だがつんく♂は全く別に自分にとって魅力的に見える美人をプロデュースするのは至難の業とした。理由に異性として見る目を持ってしまってはプロデューサーとして務まらないという考えがあったからである。
つんく♂はインディース時代を通してプロの音楽家として生きてきたという生粋のプロ意識が根強くあり、モーニング娘。に対してきっちりプロの歌手として扱うようにしていたのが窺いしれる。
プロの歌手以前に“アイドル”として売れる路線を追求してきた秋元康と
音楽家としてプロの歌手をプロデュースすることを追求したつんく♂とでは全く相容れないものがある。
言い換えればモーニング娘。が健康的な芸能人として歌手王道を追求したとするならばAKB48は(極端に言えば少女の性を売り物にする)アイドルの商品化を狙った王道とは言い難い路線を追求しているのだ。
だからといってAKB48が邪道かというとまた違うと思われる。AKB48はもともとの「会いにいけるアイドル」というコンセプトの名の下外神田に劇場を設けてメジャー進出してもなおチームごとに日替わりでほぼ毎日公演を行っている。数の多さでもそうなのだがこうした活動は画期的といえる。AKB48は今の時代に生まれた新しいアイドルの形を示しているのではなかろうか。
 蛇足だが個人の感情を述べてしまうとあまりAKB48を歓迎したくない。
全然唄が歌詞が心に響かないからだ。あからさまな商法戦略のAKB48が今のJ=POP界を支配していると思うとげんなりするしJ=POPの廃れを感じる。
そういう考えが浸透しているのか松本隆、つんく♂などかつてJ=POPを先導してきた音楽家がアニメソングを手掛けたりしている。(「マクロスF」星間飛行、「イナズマイレブン」つながりーよ)社会現象にまでなった「けいおん!」などいまや、アニメソングはCDリリースとともによくネットにデータが流れるにも関わらず、CDの売り上げを伸ばしオリコンの首位に立ったりし、正当な評価を得ている。彼らはJ=POPという音楽のメジャーなはずの世界から、アニメソングというまた別のカテゴリー、世界に価値、可能性を見出しているのかもしれない。

10                AKB48のメンバーには公演のときや総選挙に使う、キャッチコピーがあります。わかりやすい例を挙げると、チームBに所属する「らぶたん」こと「多田愛佳」のツンデレがあります。ポスターは、総選挙のときのポスターです。
  
他にもAKB48からの派生ユニットである「渡り廊下走り隊」は、グループそのものが妹系といわれています。彼女達の曲「ギュッ」のPVの冒頭には、まゆゆの「せーんぱい!」という声からはじまり、いかにも年下の守ってあげたいような妹系の女の子達という感じがします。(http://www.youtube.com/watch?v=N9L61kHJpE4)
そして、そのPVに登場する風船のような人形は見る側の視点であり、キャラとしてのアイドルが都合のよい存在であることがわかります。

AKB48は公演ではチームごとに活動していて、そのなかで特にキャラが強く表れているのは、チームBの公演だと思いました。例えば、「チームB推し」という歌では、メンバーがひとりずつ前に出て行って、ファンにアピールをします。
(http://www.youtube.com/watch?v=pq5o6WBcYd4)
歌詞には「大勢いると迷うでしょ、誰かひとりを応援して」という箇所があったり、「パフォーマンスが目をひいたら、推し変してもかまいません」という、過剰なまでの自己(キャラ)アピールがあります。

そんな中、あっちゃんこと前田敦子には、目立ったキャッチコピーのようなものが見つかりません。私は、そんな彼女は「キャラがないことを演じている」と思います。
前田敦子の所属する、チームAには「胡桃とダイアローグ」という歌があります。
(http://www.youtube.com/watch?v=4sUUyIcdmKc)
この歌は表面上では、男女の秘密の恋愛を描いているのですが、私には、「キャラを演じている良い子の私」と「そうではない本当の私」を表現しているように感じました。「胡桃を割ったら聴こえたわ 閉じ込めたその声が 真実知ったらもう元に戻れなくなるでしょう?」という歌詞は、本当の自分を見ないふりしている少女の心境だと思いました。
メンバーが持っている本は、演じるための教科書であり、前田敦子が持っている真っ赤なガラスのハートは、彼女達の探している「本当の私」なのかもしれないと思いました。しかし、最後に前田敦子が赤いハートを落として割ったことは、また見る側の要求に応えるために、アイドルとして演じる自分に戻っていくことを表しているように思いました。
by kmr-sato | 2011-05-11 05:55


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