ルーブ・ゴールドバーグのことファイナル(2)

さっきはミュージック・ビデオをとりあげましたが、それに限らず、本当はもっといろいろとあげて考えてみたいと思っているのです。そこにあるダンス、を。

Camping trip Disney Classic Cartoon

M.I.A. Galang

「ゴダール・ソシアリスム」予告

Hitchcock Strangers on a Train opening

Jacques Tati Playtime Window Cleaning

でも、ちょっときりがないので、別の話をしましょう。

「チェイン・リアクション」というものは、別に現代美術じゃなくても、ダンスじゃなくても、さまざまなところに存在しているなにか、と見るべきかもしれません。

会話とか。

お笑いとか。

昨年末は、スリムクラブが大きな話題になりましたけれど、ぼけに対してどう突っ込むかというのもまた、リアクションの連鎖という問題としてとらえることが出来るのかもしれません。彼らは、極端に「スローな仕方で受け答えする」ということをやってみたわけですけれど、それを以前紹介したゴールドバーグの漫画に出てきた「子犬が成長してしっぽが伸びる」といった極端にスローなぼけとして理解してみたら、どうでしょうか。


さて、ようやく、最後の理由です。
(なぜひとはルーブ・ゴールドバーグ・マシーンを見たがるのか?という問いに暫定的に答える試みをしているのです。)

(3)世界を異質なるものの生命の中継として見たいから

これは、最近行ったこのイベントを通して考えていたことなんですけれど。

遠藤一郎 Drive Photo Music the Movie

このイベントで遠藤一郎は、二日かけて東京から別府まで(おそらく)「未来へ号」で旅した模様について、正面と両方の側面に設置したビデオカメラの映像を編集し、コバルト爆弾αΩの音を重ねて、さらに本人の生解説をつけて、観客に紹介したのだった。およそ1時間。彼の「Drive Photo Music」というシリーズ作品では、これまで「未来へ号」での旅を通して遠藤が感じてきたこと考えてきたことを、車窓から撮った写真の上にエンジンオイルで文字を書くという表現が用いられてきた。それも悪くはないのだけれど、今回の表現方法は彼の思いを表現するさしあたり最良のものになったと思わされた。すごくよかったのだ。あれは、いろいろなところで、今後、上演し続けてほしい。なんというか、一緒に「未来へ号」に乗っているような感覚になるのだ。そして、彼の語りは、基本的には、よいこともわるいこともすべて、この世界で起こっている事実であり、それはすべて未来へ向かっているのであり、とくに目に止まるのは、道路や橋などが人間のつながりたい欲望に端を発して作られたのであろうということで、すなわち、彼のまなざしを通して見えるのは、車窓から見えるさまざまなものたちは、人間がその欲望を爆発させて作った彫刻のようなものであって、自然と絡み合いながら、そうした巨大な彫刻のようなものが、見るものをアッパーにしたりダウナーにしたりしながら、存在しているという社会を彫刻としてみるような見方である(彼が具体的に「彫刻」という言葉を口にしたかは忘れてしまった。彼の語りを聞きながら、ぼくのなかで浮かんだイメージかもしれない)。

ようするに、彼のまなざしからすれば、世界は、その部分と部分がつながり合って存在している、いわば「ルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」のようなものとして見えているのではないか、と思うのだ。彼は自分でペインティングするときには、細密な描写というものはあまりしないし、多くは文字ばかりであったり、抽象的な形象が伴うだけだったりするのだけれど、この映像は、彼のなかでもっともいわゆる絵画や彫刻という古典的な美術に近い作品のように思えた、しかし、もちろんそれは彼が描いたり彫ったりしているわではない、世界を作品と見たててそれを撮影して、それをもって自分の作品としているという次第。

世界を「ルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」として見る。そんな視点、昨今、美術批評の世界でやたらと話題のRelational Aesthetics(関係の美学、つながりの美学)にも似ているけれども、ぼくはともかく、こうした点について、ぼくは遠藤にいつも教えられている気がしている。

あー、なんだか、どんどん「いわゆるダンス」から離れているように見えていると思いますが、大丈夫ですかー

ついてきてもらえてますかー

でも、

別府温泉の町中で乱暴な蒸気を吹き出しまくっているさまとか、横浜ベイブリッジの下にあるジャンクションへ向かうぐるぐると急カーブを描いてゆく道とか、さまざまなものがぼくにとっては、興味深い運動ではあるわけで、そうした表層的なところをとってみても、ダンスと別物と思わなくてもいいと思うんです。

あと、最後に、泉太郎の方法のなかにも多分に「ルーブ」的なところはあると思います。ぼくが巻き込まれた(?)「さまよう三つ子の魂」の上演なんてまさにそうでしょう?あれは、ぼくと泉が、ライブハウスの一部屋の端と端にいてメールで会話をするというもので、それぞれのメールの文面はスクリーンにディスプレイされているのだけれど、そのスクリーンには細工がしてあって、しるしがあちこちにつけられ、そのしるしのところになにかしら文字があたると(メールはひらがなだけ用いるというルールがあった)、自分の割り当てられた文字が出た観客は、ホラーっぽい照明のもとで写真撮影され、その写真がすぐさまスクリーンに映される、なんて「チェイン・リアクション」が仕掛けられていた。さらに、スクリーンには、ギタリストとピアニストへの指示もされるようになっていて、また文字と鍵盤やフレットが対応していて、ある文字がくるとある音を弾くといった仕方で「演奏」が同時に行われていたのです。さらに、ぼくはそんなのなかったんだけれど、泉は同じような仕掛けで、音を出したりいろいろしていたそうです(ぼくは泉の反対側で黙々と泉のメールに返信していたので、その詳細がまったくわからないままです)。

ある観客は、パフォーマンス中ずっとぼくの挙動を見ていたと話してくれました。なるほど、メールに返信するその身体がなにほどかのスリルを見る者に(ぼくみたいな身体であったとしても)与えることが出来ていたのかもしれません。どんなレスをするのか、そのレスをするときの身体はどんな状態になるのか、そうした、ある環境におかれた人間の姿を観察する喜びが、観客にはあったはずです。そうした人間がその場で即興的に作り上げる彫刻がそれ自体、あのときの作品だったわけです。
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by kmr-sato | 2011-02-16 13:46


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